生産性と賃金のあれこれ

このへんこのへんで生産性と賃金の話が盛り上がっていた。この議論それ自体にはあまり興味もないのだが、Tex記法を使ってみたくて自分用のメモを書いてみる。


両方を読み流した感想としては、前提条件が食い違ったまま議論がすれ違い続けているように見える。更に言うと、いわゆるガチンコ勝負になっているにもかかわらず、互いの議論の前提条件をクリアにしていないのが問題のようにも見える。その辺りを自分なりにクリアにしながら、議論を整理してみたい。

「限界生産力と実質賃金が一致する」というのはどういうことか?

まず、「実質賃金と企業の限界生産力が一致する(だから平均生産性は関係ない)」という話なのだが、この文言自体には何の問題もない(上のブログでは「限界生産性」という言葉が使われているが、ここでは限界生産力と表記する。理由は後述)。この関係は以下の式から導かれる。


\pi = p f(L) - w L


これは、企業の利潤は、売り上げ(生産量f(L) × 価格p)から、生産コスト(賃金w × 労働力の投入量L)を引いたものだ、という定義式だ。f(L)はいわゆる生産関数というやつで、ここでは労働者をこき使えば原材料とか工場がなくてもなにか(恐らくは何かのサービス)を生産できると仮定しているわけである。


で、企業としてはこの利潤\piを最大にするように生産量を決めることになる。このとき、労働投入量を決めれば自動的に生産量は決まるので、労働投入量(≒雇用者数)をどう決めるかが企業の関心事になるのだが、それは以下のように定まる。


p f^\prime(L) = w


要は上の式をLについて微分しただけなのだが、左辺は「新たに一人労働者を雇ったときに増やせる生産量 f^\prime(L)」×「その価格」、すなわち売り上げの増加分。右辺は見てのとおり賃金、すなわち新たに一人雇ったときのコストの増加分だ。なぜ売り上げ増とコスト増がつりあったところが最適な生産量になるというと、経済学では以下のような仮定をおくことが多いからだ。曰く、「人をたくさん雇って生産を増やそうとしても、だんだん労働者の増加分ほどには生産を増やせなくなる」。限界生産力逓減の法則ともいう。例えば、人が増えすぎると、管理職という直接生産に携わらない人材が多く必要になる。その分生産の増加は抑えられるわけだ。


つまり、人を雇えば雇うほど(Lが増えれば増えるほど)、「あと一人雇って増やせる生産量f^\prime(L)」はどんどん低下していく。だから、右辺と左辺がつりあった上の式の状態から一人でも雇用者を増やしてしまうと、


p f^\prime(L) < w


となり、企業の利潤は減り始める。だから右辺と左辺がつりあっている状態で利潤は最大となるわけだ。で、左辺の価格pを右辺に移すと、池田氏の言う「限界生産力と実質賃金が一致する」という関係が得られる。


f^\prime(L) = \frac{w}{p}


実質賃金というのは分かりにくい概念だが、とりあえず「賃金を全額現物支給でもらったらどれくらいになるか」を示したものだと思ってもらえれば良い。物価変動に関わりなく、賃金がエアコン3台分から4台分になればそれこそが賃上げだと考えるわけである。


つまり、右辺の実質賃金は、左辺の限界生産力が上がれば上昇することになる。ではどんなときに限界生産力は上昇するのだろうか?答えは簡単だ。L(雇用者数)が減少すればよい。雇用者数が少ないときは、「あと一人雇用者を増やしたときの生産量の増加」が大きいからだ。


要するに、「限界生産力と実質賃金が一致する」というのは、一見「生産性が高い」企業・産業の賃金が高くなることを意味しているように見えるのだが、実はそうではない。単に、人手不足の企業では賃金が上昇しますよ、という関係を表しているに過ぎないのだ。

生産性と限界生産力の違い

上で紹介した議論がややこしいのは、「生産性とは何か」についてなんの定義も与えられていない点にも一因がある。通常、生産性が高い状態というのは、同じ労働力を使って得られる生産量が多い状態を指す。同じ100人を雇用しているのに、生産量が1割増えたとしたら、それは生産性の向上なわけである。上の議論で、限界生産力が「雇用者が増えると低下する」ものであったことを確認していただきたい。この2つは全く異なる概念なのだ。


数式でこの生産性を表すと、最初に書いた企業の利潤はこう書き換わる*1


\pi = p A f(L) - w L


このAが生産性の水準を表す(上ではA=1を仮定して省略していた)。Lが増えなくても、Aが増えれば利潤は増加することがこの式で分かるだろう。「限界生産力=実質賃金」の式は以下のように変更となる。


A f^\prime(L) = \frac{w}{p}


つまり、その企業の生産性が上昇すれば、雇用者数を減らさなくとも企業の限界生産力は増加し、賃金も上昇するということになる。「じゃぁ、結局生産性が上がれば賃金も上がるんじゃん」という話になりそうなのだが、そうでもない。要は、生産性が向上した結果、「もっと人を雇っても儲けが出るようになった」のであり、生産性の向上は労働需要、つまり企業の雇用意欲の増大を通して賃金に影響するのだ。つまり、生産性の向上→業容の拡大→人手不足→賃金上昇、という流れな訳である。逆に、もしこの生産性の向上によって、労働者に特別なスキルがなくても生産が出来るようになった場合、生産性の向上→業容の拡大→希望者殺到→賃金低下、という流れだってありうるのだ。


とりあえず結論。生産性と賃金には直接の関係はない。賃金は人手不足の企業で上昇する(それこそが限界生産力=賃金の意味である)。


上で紹介した議論がこんがらかっているのは、限界生産力(=限界生産性)と生産性(労働者一人当たりの生産効率)がごっちゃになって語られているからだ。上で書いたとおり、生産性はAであり、限界生産性はf^\prime(L)またはA f^\prime(L)である。文脈から想像するに山形氏のいう平均生産性とは各産業のAの平均値のことであり、一方池田氏の言う限界生産性とはf^\prime(L)を意味しているので、話がかみ合うはずがない。にも関わらず、山形氏は「同じことを言い換えている」と書いておられるので、話が更に錯綜しているように見える(もちろん、筆者が読み違えているだけかもしれないが)

生産性向上は他企業にどう波及するか?

次に、平均生産性の話を考えるために、上のモデルを少し変更してみよう。今、経済にはコーヒー屋(C)と床屋(B)の2つの企業が存在し、それぞれが利潤を最大化しようとしているとしよう。すると、彼らの利潤を表す式は以下のようになる。


\pi_B = p_B A_B f(L_B) - w_B L_B
\pi_C = p_C A_C f(L_C) - w_C L_C


コーヒー屋と床屋はそれぞれ別の生産性、別の価格、別の賃金、そして別の労働者を雇っているので、A、p、w、LにはそれぞれBとCがくっついて区別されている。これを限界生産力=賃金の式に書き換えると、


A_B f^\prime(L_B) = \frac{w_B}{p_B}
A_C f^\prime(L_C) = \frac{w_C}{p_C}


まず、産業間の労働力の移動が不可能であったとしよう。コーヒー屋は床屋には転職できないし、床屋はコーヒー屋にはなれないのである。ここで床屋の生産性A_Bが向上すると、床屋の限界生産力A_B f^\prime(L_B)が上昇する。床屋としてはもっと人を雇いたいのだが、コーヒー屋からは引き抜けないのでL_Bは変化なし。よって人手不足になって実質賃金\frac{w_B}{p_B}が上昇する。それだけである(床屋の生産量は増えているのでp_Bは低下し、一方で賃金w_Bは上昇している可能性が高い)。


さて、山形氏はここで世界各国の床屋の価格を比べているわけだが、これはつまり産業間、または国家間での労働力の移動が自由に行われていることを意味する。そうでないと、賃金の比較をやる意味がない。


そこで、上の床屋コーヒー屋モデルで、労働力の移動が自由に可能になったらどうなるかを考えてみよう。wだのpだのでは味気ないので、以下 p_B = 1500, p_C = 500, w_B = 2000, w_C = 1000と仮定してみよう。とりあえず、床屋の時給2000円はコーヒー屋の時給1000円よりも高いので、何人かの労働者は床屋に転職するであろうことは想像がつく。その結果、L_Bは増加し、床屋の限界生産力は低下して実質賃金は下がる。逆にコーヒー屋の実質賃金は上昇する。


ここで、最終的に\frac{w_B}{p_B} = \frac{w_C}{p_C}、つまり両企業の実質賃金が等しくなる、と考えた人は惜しいが間違っている。この実質賃金はあくまでも企業から見たもので、賃金を自分の会社の商品の価格で割ったものに過ぎない。労働者は、当然のことながら自社の商品だけを消費するわけではないので、この実質賃金を元にして意思決定をすることはないのである。労働者=消費者にとっての実質賃金は、自分の賃金を自分の消費計画に基づいて計算した平均価格、すなわち消費者物価で割った\frac{w_B}{\frac{1}{2}p_B + \frac{1}{2}p_Cになる。更に、床屋に勤める労働者もコーヒー屋の労働者も、消費者としては同質であると仮定すると、この「労働者にとっての実質賃金」の分母が等しくなるため、労働者は分子の名目賃金がイコールになるまでコーヒー屋から床屋への転職を続けることになる。*2

こうして、コーヒー屋から床屋への人材流出は両方の名目賃金(我々が通常頂いている、お金でもらう賃金のこと)が等しくなるまで続く。つまり、労働力の移動が自由ならば、産業間での賃金格差は完全に消滅する。一方で、国家間の賃金格差は消滅しない。なぜなら、違う国に住んでいる場合、分母の消費者物価それ自体が違うからである(もちろん、労働力の移動をどう定義するかで結論は変わってくる。外国人であっても、日本に定住する場合は日本人と同じ消費者物価を使うことになるだろうし、逆に海外にコールセンターを置く場合は、海外の消費者物価を使うだろう)。

賃金は需要と供給で決まります

ただし、実際のところこのような自由な労働力の移動というのは現状絵空事に過ぎないので、賃金格差ははっきりと存在する。そして、その賃金格差は各産業ごとに分割された労働需要(生産性の向上による人員募集など)と労働供給(3Kはきらい、とか、でもスチュワーデスにはなりたい、とか)によって決まる。


このうち、労働需要(企業側)は上の「限界生産力=賃金」の式で決まる。つまり、実質賃金が低いほど、企業の生産性が高いほど、労働需要は高くなる。一方で労働供給(労働者側)は、実質賃金が高いほど、「働くことによる苦痛」が小さいほど高くなる。*3この需要と供給がバランスする水準で賃金が定まる、というのが経済学お約束の「価格メカニズム」というやつなわけである。


つまり、限界生産力(=限界生産性)の話というのは、労働需要サイドの話をしているだけで、それだけでは賃金がどう動くかを考えるのには十分とはいえない。それは平均生産性(Aのこと)も同じ話で、結局我々労働供給側がどう動くかをはっきりと仮定しておかないと意味がない。いくら生産性が向上し、労働需要が増えても、それ以上に労働供給が増えれば賃金は下がる。逆に、生産性が低く、労働需要が低かったとしても、例えば3K職場だったりして働き手がいなければ、賃金は上がる。だからこそ、日本で最も月給が高いのは製造業でもサービス業でもなく、余り生産性が高いとは考えられていない建設業なのである。


要するに、「現実に存在する賃金格差」を考えるには、限界だろうが平均だろうが、生産性を考えるだけでは全く不十分なのだ。建設業の例から分かるとおり、結局生産性とは別の要素で賃金は決まってくる。製造業で生産性が向上しても、労働者にとっては(医者や弁護士と比べ)参入が容易なので、賃金はそこまで上がらないのである。

脚注

*1:ここでは、生産性はTFP、すなわち全要素生産性であると仮定している。もちろん、ここでは生産要素が労働しかないので、本質的にはソロー残差と大差ない。

*2:なお、消費者物価のウェイトが半々になっているのは、消費者はいつでも両方のサービスを同じだけ消費しようとすると仮定しているからである。つまり、効用関数が完全補完的であることを意味する。これを仮定することで、いかなる所得水準、いかなる相対価格でもそれぞれのサービスの消費割合は変わらなくなる。これによって代替効果を考えなくて良くなるだけでなく、労働者が床屋に偏ることで発生するp_Bの低下とp_Cの上昇が相殺され、所得効果も無視できるようになるのが利点、のはずである。筆者が勘違いしていなければ。

*3:厳密には、消費と余暇の最適配分を所与の実質賃金に基づいて決定するという一般均衡の話になるわけだが、議論の本筋とはいえないので省略