上限金利規制は本当に失敗したのか?

勢いで新しいブログを作ったものの、正直扱いに困っていたのですが、今後このブログは「独立したエントリーにするほどでもない小ネタを書くブログ」にしていこうと思います。本サイトは「エントリーはそれ単体でも成立するものを書く(他人に対するツッコミだけのエントリーは書かない)」という自分ルールを課しているのですが、そのせいで更新頻度が非常に低下してしまっておりますし。また、今までは「他ブログへの言及」や「反論に対する再反論」はコメント欄を使っていたのですが、必ずしもコメント欄が参照されるとは限りませんし、今後はこちらのブログをもう少し活用していこうと思います。それでも「思ったことを条件反射で書く」ことはしないつもりなので、それほど頻繁には更新されないと思いますが、どうかよろしくお付き合いくださいませ。

闇金融の利用者が増えている…でも、その規模は?

Bewaadさんのブログで「上限金利規制後、闇金融への相談が倍増した」というニュースが紹介されていた。で、これをもって上限金利規制が失敗であったことの証拠とする議論につながっているのだが、これは本当にそうなのだろうか。正直、たかが倍増であれば十分許容範囲内である可能性は高いと思うのだが。

何でそんな話になるかというと、消費者金融闇金融では資金規模がまるで違うからだ。この統計を見ると、消費者向けの貸付は実に21兆円。このうち9割が貸付金利15%以上(2005年時点)。金利20%以上に限っても4分の3、15兆円である。この15兆円が上限金利に引っかかって、利下げをするか貸付を中止するかを迫られたことになる。

で、例えば、このうちの1割が闇金融に流出、ということになると、さすがにその悪影響は無視できない。借り手保護を謳いながら逆効果じゃん、という反論もぐっと説得力を増す。しかし、1割ということは1.5兆円である。いくら闇金融の実態は不明とはいえ、さすがにこの数字は非現実的だ。どうやって資金調達するんだよという話である。闇金ごときがさらりと1兆円の資金を調達できるのなら、投資銀行なんぞいらんのである(サラ金業者の社債発行は投資銀行にとってはドル箱だった。つまり、難易度が高いのでマージンも抜けるのである。筆者自身はファイヤーウォールの向こう側に居たので良く知らないのだが)。

そもそも、闇金融というのは小口貸付が基本である。適当に検索して見つけたこのサイトを見ても、限度額は20万円程度。まぁ、闇金に手を出す阿呆*1に高額を貸し付ける馬鹿は居ない。一方で信販会社辺りの限度額はばらつきはあれどキャッシングで100万から300万(クレジットカードのキャッシングだと50万以下だったと記憶している)。カードのリボルビングの限度額が少なくとも50万から100万。キャッシングとリボルビングをあわせれば闇金の限度額の10倍くらいにはなるだろう。

前記のサイトを見ると20万円を最初から借りることは不可能とあるので、仮に平均貸付額を15万円とすると、15兆円の1%である1500億円に到達するのにすら100万人に貸し付けなければならない。・・・正直これでもまだまだ非現実的に見えるのだが、仮に100歩ゆずってサラ金から闇金に流れた人が全体の1%いたとして、これをもって上限金利規制失敗の証左としてよいのだろうか?

結局のところ、上限金利規制の成否は残りの99%の借り手がどうなったかによって決まる。ごく一部の、「金利水準に関わらず金を借りたい(貸出需要関数が垂直に近い)」人たちの行動だけで政策の是非を語るのは幾らなんでも無理ではないだろうか。

上限金利規制は経済学の理屈で正当化は可能

そして、昔本サイトでも書いたとおり、経済学的に言って残りの99%の借り手がより望ましい状態を達成できている可能性はある。借り手の質について事前情報の非対称性が存在する場合(逆選択)、法律で無理やり上限金利を設定することでより低い金利で多くの(全ての、とは限らない)借り手が借り入れられるようになる*2。借り手にモラルハザードの問題がある場合(限定責任)、上限金利によって理不尽な取立てを抑制できる可能性もある(本サイト参照)。不完全競争を仮定するなら、上限金利を正当化するのは更に簡単になる。

逆に、上限金利規制に反対するには、今の(市場で自由に決定された*3)貸出金利が健全な(=正しくマーケットメカニズムを反映している)水準にあることを主張しなければならない。これは正直無理がある仮定だと思うのだが。市場金利が健全であるためには、通常「その市場で競争原理が十全に働いていること(完全競争)」と「市場参加者が同じ情報を共有していること(完全情報)」の2つが成立している必要がある。トヨタ東芝であれば十分な情報公開もされており、完全情報を仮定してしまっても良いのかもしれないが、一般の消費者金融で完全情報を前提に議論することに意味があるとは思えない。

上限金利で取立てが厳しくなる?

なお、前記のBewaadさんのコメント欄で「上限金利が設定されると『なんとしても回収せねば』という動機が生まれてむしろ取り立ては厳しくなる」可能性が指摘されている。もしこれが本当であれば筆者が本サイトで書いた「上限金利を設定することと理不尽な取立てを規制することは同義」という主張が崩れることになる。だが、理論的に「上限金利が取立てを厳しくする」ことを説明するのは結構難しいのではないだろうか。より厳しい取立てが可能なら、上限金利設定前にも同様の厳しい取立てを行わない理由がないからだ。「取り立てにはコストがかかるので、本当に必要なときしか厳しい取立てはしないのだ」という議論も成立しづらい。例えば、取立ての厳しさ(e)と返済額には正の相関があるが、取立てには一定のコストがかかる場合、貸し手の利潤関数は
\pi = R(e)-ae
となる。ここでは、返済額Rはeに対してconcaveな単調増加関数であり、またaeは取立てのコストを表す線形の関数だと仮定している。一方で、上限金利が設定されて返済額が3分の2になったとすると、
\pi = \frac{2}{3}R(e)-ae
両式をeで微分して最適な取立ての厳しさを導くと、上限金利を設定しないほうが必ず取り立ては厳しくなる。厳しい取立てで得られる利益が前者のほうが大きいのだから当然の話なのだが(グラフを書けばすぐ分かるだろう)。

これでもなお『なんとしても回収せねば』という議論をするには、「人々は特に損失を出すのを嫌がる」という最近流行の(筆者はよく知らないのだが)行動経済学っぽい仮定が必要なのではないだろうか。しかし、ここで考えているのは個人の心理ではなく企業行動である。更に、損失を出してもそれは損金参入して節税対策に使える(更に数年は繰越も出来たはず)ことを考えると、損失に対してそこまで特殊な行動を仮定できるかは疑問な気がする(もちろん、不可能だまでは思わないが)。

貸さぬも親切

取り止めがなくなったが、さすがにこんな闇金融の相談件数だけで上限金利規制の是非について結論を出すのはいかがなものかと思うわけである*4。本サイトでも書いた話だが、腎臓のような無形の担保を差し出さないと借りられない、という人に対しては「誰も貸せないようにする」以上の親切はありえない。というか、そもそも取立てが厳しすぎるのは良くない、という問題意識から始まった議論なのだから、そういう結論になるのは自然ではないだろうか。

借りられないと死んじゃう、という人は生活保護を使ってくれと。それでも闇金に手を出してしまう人は東京湾に浮かんでくれ、というのはさすがに冗談だが、闇金に手を出す人の数が少数派であるのなら、貸金業規正法などでミクロに対処したほうが効率が良いと思うのだが。

*1:念のために書くが、一般論として、である。個別の事情は色々あろう。

*2:ただし、全ての逆選択のケースで望ましい結果が得られるとは限らない。もし唯一の均衡金利よりも低い金利に上限金利を設定した場合、全ての貸借が消滅するという最悪の結果を招く。逆に、パラメーター(借り手の分布など)次第では、上限金利を設定することでより低金利の均衡へと移動することが出来る(複数均衡が存在するケース)。…筆者の理解が正しければ、だが。

*3:厳密には、既に5年ほど前に一度上限金利が40%から30%に引き下げられているため、今の金利が「市場で自由に決定された金利」だとは言い難いのだが。

*4:念のために書くが、筆者は上限金利規制が成功したと思っているわけではない。現時点ではそれを判断する材料が決定的に不足していると思っているわけである。